はじめまして。
BL小説を書いております、やぴと申します。
こちらは男同士の恋愛小説となっております。
ストーリーの関係上、性描写があります。
ご理解いただける方のみ、自己責任において閲覧ください。
実際は小説と呼べるほどのものでもなく、趣味で書いていますので、稚拙な文章ではありますが楽しく読んで頂けると幸いです。
コメントなど気軽に頂けると嬉しいです。
誹謗中傷などの心無いコメントは当方で削除させていただきます。ご了承下さい。
ヒナ田舎へ行く 30 [ヒナ田舎へ行く]
ラドフォード館の朝は早い。
階下での物音を聞きつけたダンは、薄暗がりの中、枕元の時計に目をやった。
いつもの起床時間より一時間も早い。そう思っただけで大きなあくびが出た。
田舎の朝の早い事は経験上よく知っているが、それにしても早い。眠れる上半身を起こしてベッドに座ると――なかなか寝心地のいいベッドだったのでぐっすりだった――しばらくそのまま目を閉じて時間を過ごした。
目覚めは悪くないがペースを乱された感はある。これが毎日なら、こちらが合わせなければ。
ダンは潔くベッドから出ると、部屋の隅の洗面でささっと顔を洗って着替えを済ませると、ヒナの部屋を覗いて階下へと向かった。
ヒナはくーくーと寝息を立てていた。
旦那様がいなくても熟睡できたと聞いたら、旦那様は何と思うだろうか?さすがはヒナ?それとも、薄情者?
まあ、旅の疲れもあるだろうし、予想外にベッドのスプリングの感じがよかったというのもあるだろう。けっして旦那様がいなくても平気だというのとは違う。
邸内を巡りながら、早朝から掃除にいそしんでいるわけではないことは確認した。どちらかといえば屋敷はまだ眠っているといった印象を受けた。起きているのはキッチンだけ。
意外だったのは、ノッティが毎朝配達するはずのパンを焼く匂いがしていること。
「おはようございます」ダンは相手を驚かせようと声を張った。
エプロン姿のブルーノが卵の入ったカゴを手に振り返った。邪魔をされたからか、一瞬忌々しいものでも見るような目をしたが、それはすぐに掻き消えた。
「随分早いんだな」
「そちらこそ」
両者とも短い言葉に言外の意味を込めていた。
『邪魔者はさっさと消えろ』
『お邪魔虫で結構。僕は居座りますよ』
そんなところだろうか。
「朝食は何時からですか?」この分だと随分早いに違いない、とダンは思った。
「七時半だ。七時にならないとパンが届かないからな」ブルーノは答え、卵を次々と鍋の中の湯に落としていった。
「ヒナはゆで卵よりもオムレツの方が好きです」むしろゆで卵はあまり好きではない。
「うちでは卵はゆでることにしている。残ってもあとでいつでも食べられるからな」ブルーノは火加減を調節すると、調理台を挟んでダンに向き直った。「コーヒー飲むか?」
「朝っぱらからコーヒーですか?僕は朝は紅茶を頂くことにしています」断固として言った。あんな泥水のようなものを寝起きで飲んだら死んでしまう。もしかしてそういう作戦?コーヒーで撃退するつもり?
「ああ、まだ子供には早いか」見下すような物言い。
頭にきた。コーヒーくらい、飲めるに決まっている。実際飲んだことはあるわけだし。ただ、ほとんどの場合、美味しいと思った事はなかった。一度か二度、ひどく酔っ払った時にはすこぶる役に立ちはしたが。
「いただきましょう!」
ダンはブルーノの挑戦を受けて立つ事にした。
つづく
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階下での物音を聞きつけたダンは、薄暗がりの中、枕元の時計に目をやった。
いつもの起床時間より一時間も早い。そう思っただけで大きなあくびが出た。
田舎の朝の早い事は経験上よく知っているが、それにしても早い。眠れる上半身を起こしてベッドに座ると――なかなか寝心地のいいベッドだったのでぐっすりだった――しばらくそのまま目を閉じて時間を過ごした。
目覚めは悪くないがペースを乱された感はある。これが毎日なら、こちらが合わせなければ。
ダンは潔くベッドから出ると、部屋の隅の洗面でささっと顔を洗って着替えを済ませると、ヒナの部屋を覗いて階下へと向かった。
ヒナはくーくーと寝息を立てていた。
旦那様がいなくても熟睡できたと聞いたら、旦那様は何と思うだろうか?さすがはヒナ?それとも、薄情者?
まあ、旅の疲れもあるだろうし、予想外にベッドのスプリングの感じがよかったというのもあるだろう。けっして旦那様がいなくても平気だというのとは違う。
邸内を巡りながら、早朝から掃除にいそしんでいるわけではないことは確認した。どちらかといえば屋敷はまだ眠っているといった印象を受けた。起きているのはキッチンだけ。
意外だったのは、ノッティが毎朝配達するはずのパンを焼く匂いがしていること。
「おはようございます」ダンは相手を驚かせようと声を張った。
エプロン姿のブルーノが卵の入ったカゴを手に振り返った。邪魔をされたからか、一瞬忌々しいものでも見るような目をしたが、それはすぐに掻き消えた。
「随分早いんだな」
「そちらこそ」
両者とも短い言葉に言外の意味を込めていた。
『邪魔者はさっさと消えろ』
『お邪魔虫で結構。僕は居座りますよ』
そんなところだろうか。
「朝食は何時からですか?」この分だと随分早いに違いない、とダンは思った。
「七時半だ。七時にならないとパンが届かないからな」ブルーノは答え、卵を次々と鍋の中の湯に落としていった。
「ヒナはゆで卵よりもオムレツの方が好きです」むしろゆで卵はあまり好きではない。
「うちでは卵はゆでることにしている。残ってもあとでいつでも食べられるからな」ブルーノは火加減を調節すると、調理台を挟んでダンに向き直った。「コーヒー飲むか?」
「朝っぱらからコーヒーですか?僕は朝は紅茶を頂くことにしています」断固として言った。あんな泥水のようなものを寝起きで飲んだら死んでしまう。もしかしてそういう作戦?コーヒーで撃退するつもり?
「ああ、まだ子供には早いか」見下すような物言い。
頭にきた。コーヒーくらい、飲めるに決まっている。実際飲んだことはあるわけだし。ただ、ほとんどの場合、美味しいと思った事はなかった。一度か二度、ひどく酔っ払った時にはすこぶる役に立ちはしたが。
「いただきましょう!」
ダンはブルーノの挑戦を受けて立つ事にした。
つづく
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ヒナ田舎へ行く 31 [ヒナ田舎へ行く]
張り合おうとしているのか、ただ単にそういう性格だからなのか、ブルーノは黒い液体をいつまでも眺めて一切飲み下そうとしないダンを見ながら、皮肉にも昔の自分を思い出していた。
三つしか離れていない兄スペンサーがとても大人に見えていた頃の事。なにかにつけ勝負を仕掛けては、惨敗していたあの頃。いまでこそ偉そうに対等ぶってはいるが、やはり兄にはどうやっても勝てない。勝つことを諦めたと言ってもいい。スペンサーは一枚も二枚もうわてだ。時にはひどく卑怯だったりするのだけれど、それもそれ。能力のうち。
「遠慮するとは意外だな」
つい意地悪を言いたくなった。ダンは遠慮どころか、怖気づいているというのに。
「香りを楽しんでいたんですよ」ダンは鼻を膨らませながら言った。
ムキになり過ぎ。負けず嫌いが災いすることをダンはまだ知らないらしい。
「そうか。いい香りだろう?週に一度豆を届けてもらっているんだ」さあ、ぐぐっと飲めと顎をしゃくった。
ダンはごくりと唾をのんだ。そしてやっとカップに口をつけた。苦みに顔を顰め、それから意外そうに目をぱちくりとさせた。
「僕が知っているコーヒーとは違います」
ブルーノは満足の笑みをこぼした。「飲みやすいだろう?それでも苦いって言うなら、蜂蜜でもたっぷりと入れて飲むんだな」
ダンはコーヒーポットの横の蜂蜜の入った瓶を恨めしげに見やり、小さく首を振った。「結構です」
強がりにも思えたが、ブルーノは黙って頷き、自分のカップにおかわりを注いた。もうすぐカイルがやって来て、ミルクに少しだけコーヒーを垂らした代物を要求する。
そうまでしてコーヒーを飲む必要もないし、朝の忙しい時間にピクルスのフンの話など聞きたくはない。それでもカイルはやって来る。動物たちの世話をしたあと、着替えとシャワーを済ませて、今朝見た夢の話から始めるのだ。それが日課だ。
「ブルーノ聞いて!」
ほら来た。
「あれ、ダン。おはよう。早起きなんだね」カイルは言いながらダンの隣に腰をおろした。
「おはよう。カイルこそ、随分朝が早いんだね」ダンはこそりとカップを置いて、向こうのほうへ押しやった。
「ピクルスが早起きだから」とカイル。ブルーノからミルクを受け取ると、コーヒーをちょっとだけ垂らして、喉を潤した。
「ああ、そうか。カイルが彼らの世話をしているんだったね」
「ブルーノも時々するよ。スペンサーはまったくしないけどね。机に向かって難しい顔するのが好きなんだ、スペンサーはさ」
ブルーノはカイルの話を聞きながら、朝食の支度に戻っていた。焼き上がったばかりの手の平サイズのミートパイをカゴに入れ、細かく刻んだ野菜でスープを作り始めた。
多少贅沢ではあるが、ラドフォード館で最後の食事だ。気持ちよく去ってもらうためには仕方がないだろう。
つづく
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三つしか離れていない兄スペンサーがとても大人に見えていた頃の事。なにかにつけ勝負を仕掛けては、惨敗していたあの頃。いまでこそ偉そうに対等ぶってはいるが、やはり兄にはどうやっても勝てない。勝つことを諦めたと言ってもいい。スペンサーは一枚も二枚もうわてだ。時にはひどく卑怯だったりするのだけれど、それもそれ。能力のうち。
「遠慮するとは意外だな」
つい意地悪を言いたくなった。ダンは遠慮どころか、怖気づいているというのに。
「香りを楽しんでいたんですよ」ダンは鼻を膨らませながら言った。
ムキになり過ぎ。負けず嫌いが災いすることをダンはまだ知らないらしい。
「そうか。いい香りだろう?週に一度豆を届けてもらっているんだ」さあ、ぐぐっと飲めと顎をしゃくった。
ダンはごくりと唾をのんだ。そしてやっとカップに口をつけた。苦みに顔を顰め、それから意外そうに目をぱちくりとさせた。
「僕が知っているコーヒーとは違います」
ブルーノは満足の笑みをこぼした。「飲みやすいだろう?それでも苦いって言うなら、蜂蜜でもたっぷりと入れて飲むんだな」
ダンはコーヒーポットの横の蜂蜜の入った瓶を恨めしげに見やり、小さく首を振った。「結構です」
強がりにも思えたが、ブルーノは黙って頷き、自分のカップにおかわりを注いた。もうすぐカイルがやって来て、ミルクに少しだけコーヒーを垂らした代物を要求する。
そうまでしてコーヒーを飲む必要もないし、朝の忙しい時間にピクルスのフンの話など聞きたくはない。それでもカイルはやって来る。動物たちの世話をしたあと、着替えとシャワーを済ませて、今朝見た夢の話から始めるのだ。それが日課だ。
「ブルーノ聞いて!」
ほら来た。
「あれ、ダン。おはよう。早起きなんだね」カイルは言いながらダンの隣に腰をおろした。
「おはよう。カイルこそ、随分朝が早いんだね」ダンはこそりとカップを置いて、向こうのほうへ押しやった。
「ピクルスが早起きだから」とカイル。ブルーノからミルクを受け取ると、コーヒーをちょっとだけ垂らして、喉を潤した。
「ああ、そうか。カイルが彼らの世話をしているんだったね」
「ブルーノも時々するよ。スペンサーはまったくしないけどね。机に向かって難しい顔するのが好きなんだ、スペンサーはさ」
ブルーノはカイルの話を聞きながら、朝食の支度に戻っていた。焼き上がったばかりの手の平サイズのミートパイをカゴに入れ、細かく刻んだ野菜でスープを作り始めた。
多少贅沢ではあるが、ラドフォード館で最後の食事だ。気持ちよく去ってもらうためには仕方がないだろう。
つづく
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ヒナ田舎へ行く 32 [ヒナ田舎へ行く]
ダンはポットに紅茶を準備すると、マグに半分ほどコーヒーを注いでもらい、ヒナを起こすためキッチンを出た。洗顔用のお湯を手にカイルも続く。ブルーノがヒナの世話係だったような……とぼんやりと思いながら、話の続きに耳を傾けた。
「でさ、ブルーノとスペンサーはぜぇったいダンを追い出す気なんだけどさ、僕はさ、ヒナと話し合った結果、伯爵にばれないようにすれば居てもいいかなって思うんだよね。だってさ、どうせばれやしないんだもん」
「そうかな?伯爵のスパイがいるかもしれませんよ、どこかに」ダンはおどかすように言った。スパイネタはヒナの好物だ。
「スパイ?怪しいやつがいたらすぐにわかるよ」ねずみ一匹見逃すものかといった口調だ。
「知っている人がスパイかもしれないよ」
「ああ、そういうことなら、<金獅子と樽亭>のチッピィしかいないな。ほんと、やなやつなんだ」
「ここへ来ることがある?」
「週一くらいで来るよ」
「じゃあ、その時は気を付けなきゃ」ダンは振り向いてウィンクすると、ヒナの部屋へ踏み込んだ。
ヒナはまだ眠っていた。ベッドサイドにトレイを置くと、端のほうで丸まるヒナの寝顔を確認し、上掛けの端を持ってヒナを向こう側へ転がした。
素っ裸のヒナが反対側の端で止まり、カーテンを開けるために窓辺に寄っていたカイルを驚かせた。
「え、はだか?昨日着せてやった寝間着はどうしたんだ?」
カイルの言い分ももっともと言ってやりたかったが、実のところ、ヒナを着替えさせたのはダンだ。カイルはヒナとおやつを食い散らかして、そのまま眠りこけていたのだから。
「眠っている間に脱いでしまうんですよ。今の時期はいいですけど、寒くなってこれをやられると困りますね……」きっと旦那様と抱き合って暖を取るに決まっている。まったく。朝、起こしに行く僕の身にもなって欲しいものだ。
ダンは愚痴めいた事を思いながら、ヒナの両脇を抱えるようにして、ベッドの端に座らせた。当然ヘアキャップもどこかへ行ってしまっているので、頭はもっさもさだ。
「おはようございます。お坊ちゃま」
ヒナは目をしょぼしょぼとさせながら、口をもぞもぞと動かした。おそらくは「おはよう」と言ったのだろう。
ダンはかまわずヒナの腕にシャツの袖を通し、ボタンを下から順に留めていった。下穿きを穿かせてズボンに脚を通す頃には、ヒナの目も半分ほど開いていた。
「あ、カイルだ」ようやく見えたようだ。
「おはよう、ヒナ。よく眠れたか?」カイルはブルーノ特製のコーヒーの入ったマグをヒナに差し出した。
「おはよう。よく眠れた」ヒナは反射的にそのマグを受け取ると、そろそろと口元に持っていった。熱くないか確かめるためだ。
「ヒナ、気を付けてくださいね」何の警告か、とにかく警告せずにはいられなかった。
意外とヒナは平気なようで、何事もなくこくこくと二口三口飲むと、マグをダンに返した。
ダンはそれをカイルに渡し、ヒナを立たせてベストを着せた。
そして大好きなクラヴァット結びに突入した。
つづく
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「でさ、ブルーノとスペンサーはぜぇったいダンを追い出す気なんだけどさ、僕はさ、ヒナと話し合った結果、伯爵にばれないようにすれば居てもいいかなって思うんだよね。だってさ、どうせばれやしないんだもん」
「そうかな?伯爵のスパイがいるかもしれませんよ、どこかに」ダンはおどかすように言った。スパイネタはヒナの好物だ。
「スパイ?怪しいやつがいたらすぐにわかるよ」ねずみ一匹見逃すものかといった口調だ。
「知っている人がスパイかもしれないよ」
「ああ、そういうことなら、<金獅子と樽亭>のチッピィしかいないな。ほんと、やなやつなんだ」
「ここへ来ることがある?」
「週一くらいで来るよ」
「じゃあ、その時は気を付けなきゃ」ダンは振り向いてウィンクすると、ヒナの部屋へ踏み込んだ。
ヒナはまだ眠っていた。ベッドサイドにトレイを置くと、端のほうで丸まるヒナの寝顔を確認し、上掛けの端を持ってヒナを向こう側へ転がした。
素っ裸のヒナが反対側の端で止まり、カーテンを開けるために窓辺に寄っていたカイルを驚かせた。
「え、はだか?昨日着せてやった寝間着はどうしたんだ?」
カイルの言い分ももっともと言ってやりたかったが、実のところ、ヒナを着替えさせたのはダンだ。カイルはヒナとおやつを食い散らかして、そのまま眠りこけていたのだから。
「眠っている間に脱いでしまうんですよ。今の時期はいいですけど、寒くなってこれをやられると困りますね……」きっと旦那様と抱き合って暖を取るに決まっている。まったく。朝、起こしに行く僕の身にもなって欲しいものだ。
ダンは愚痴めいた事を思いながら、ヒナの両脇を抱えるようにして、ベッドの端に座らせた。当然ヘアキャップもどこかへ行ってしまっているので、頭はもっさもさだ。
「おはようございます。お坊ちゃま」
ヒナは目をしょぼしょぼとさせながら、口をもぞもぞと動かした。おそらくは「おはよう」と言ったのだろう。
ダンはかまわずヒナの腕にシャツの袖を通し、ボタンを下から順に留めていった。下穿きを穿かせてズボンに脚を通す頃には、ヒナの目も半分ほど開いていた。
「あ、カイルだ」ようやく見えたようだ。
「おはよう、ヒナ。よく眠れたか?」カイルはブルーノ特製のコーヒーの入ったマグをヒナに差し出した。
「おはよう。よく眠れた」ヒナは反射的にそのマグを受け取ると、そろそろと口元に持っていった。熱くないか確かめるためだ。
「ヒナ、気を付けてくださいね」何の警告か、とにかく警告せずにはいられなかった。
意外とヒナは平気なようで、何事もなくこくこくと二口三口飲むと、マグをダンに返した。
ダンはそれをカイルに渡し、ヒナを立たせてベストを着せた。
そして大好きなクラヴァット結びに突入した。
つづく
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ヒナ田舎へ行く 33 [ヒナ田舎へ行く]
ヒナが背筋を伸ばして首を預けている様子は、なんだかとても滑稽だったが、ダンもヒナも真剣で、カイルは伯爵さまがここにいたらこの役目はスペンサーとブルーノとどちらがやるのだろうかと考えずにはいられなかった。
「ダン、まだぁ?」ヒナが訊く。
「まだです。せっかくですからきれいなヒダを五本ほど。それでいて、スープに浸らないようにしなければ。今朝は野菜のスープが出るようですので」ダンは独り言のようにぶつくさ言い、ヒナの首をぎゅっと絞った。
ヒナがうぅぅとうめきながら、助けを求めるようにこちらを見た。
今度こそ間違いない。
「僕、そろそろ下に行くね。ノッティが来る頃だから」カイルはヒナを見捨てることにした。
だって、ダンの気迫が怖すぎる。たかが朝食を食べるためだけにやりすぎだ。どうせあとでおでかけ着に着替えるんだろうに。
「ヒナも行くっ!」
「まだダメです。だいたい、顔も洗っていないでしょう?」
「いつもは先に洗うのに、ダンが無理やり着せたんだから」ヒナはぶぅぶぅ文句を言いながら、カイルを目で追った。「ヒナもパン屋さんに会いたいよぉ~」
ヒナの悲痛な声に気圧されたのか、ダンは情けないものでも見るような顔つきでかぶりを振った。
「ではあと三分ほど我慢して下さい。カイル、タオルをお湯に浸して、固く絞ってヒナに。先に頭をやってしまいましょう」
ヒナはしおらしく頷き、くるりと身体を回転させて、ダンにもさもさの頭を差し出した。ダンは小瓶からなにやら一滴ほど手のひらに垂らすと、両手を擦り合わせてヒナのもみくちゃの頭をわしわしとやり始めた。それからあっという間にシニョンに結い上げ、ピンを何本か差し込み、昨日ヒナが頭に挿していた櫛をぶすりとやった。
その間に、カイルからタオルを受け取ったヒナは顔をごしごしと高速で擦って、「できた!」と身支度完了を報告した。
やっぱ、ヒナは女みたいだ。肖像画にある貴婦人と同じ髪型だもん。
けどそれをヒナに言っても、どうせ意味のない言葉が返ってくるだけだし、ダンに言うと気分を害するかもしれないから、やっぱ言わない方がいいだろう。
「よしっ!じゃあ、行くぞ!」カイルは意気揚々と宣言した。
つづく
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「ダン、まだぁ?」ヒナが訊く。
「まだです。せっかくですからきれいなヒダを五本ほど。それでいて、スープに浸らないようにしなければ。今朝は野菜のスープが出るようですので」ダンは独り言のようにぶつくさ言い、ヒナの首をぎゅっと絞った。
ヒナがうぅぅとうめきながら、助けを求めるようにこちらを見た。
今度こそ間違いない。
「僕、そろそろ下に行くね。ノッティが来る頃だから」カイルはヒナを見捨てることにした。
だって、ダンの気迫が怖すぎる。たかが朝食を食べるためだけにやりすぎだ。どうせあとでおでかけ着に着替えるんだろうに。
「ヒナも行くっ!」
「まだダメです。だいたい、顔も洗っていないでしょう?」
「いつもは先に洗うのに、ダンが無理やり着せたんだから」ヒナはぶぅぶぅ文句を言いながら、カイルを目で追った。「ヒナもパン屋さんに会いたいよぉ~」
ヒナの悲痛な声に気圧されたのか、ダンは情けないものでも見るような顔つきでかぶりを振った。
「ではあと三分ほど我慢して下さい。カイル、タオルをお湯に浸して、固く絞ってヒナに。先に頭をやってしまいましょう」
ヒナはしおらしく頷き、くるりと身体を回転させて、ダンにもさもさの頭を差し出した。ダンは小瓶からなにやら一滴ほど手のひらに垂らすと、両手を擦り合わせてヒナのもみくちゃの頭をわしわしとやり始めた。それからあっという間にシニョンに結い上げ、ピンを何本か差し込み、昨日ヒナが頭に挿していた櫛をぶすりとやった。
その間に、カイルからタオルを受け取ったヒナは顔をごしごしと高速で擦って、「できた!」と身支度完了を報告した。
やっぱ、ヒナは女みたいだ。肖像画にある貴婦人と同じ髪型だもん。
けどそれをヒナに言っても、どうせ意味のない言葉が返ってくるだけだし、ダンに言うと気分を害するかもしれないから、やっぱ言わない方がいいだろう。
「よしっ!じゃあ、行くぞ!」カイルは意気揚々と宣言した。
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ヒナ田舎へ行く 34 [ヒナ田舎へ行く]
カイルを先頭にヒナご一行様がキッチンに足を踏み入れた時、すでにノッティは到着していてはちみつたっぷりの紅茶を飲みながら、ほぼ一方的に噂話に花を咲かせていた。
ノッティは赤毛ののっぽで、顔にはそばかすが散っていた。パンを届けて、お茶を頂くのが日課で、ヒナ同様おしゃべりが大好物。
茶色い瞳が新入りを捉えるや否や、即座に歓迎の意を込めてガタつく椅子から立ち上がった。
「やあ、カイルおはよう!うしろにいるのが例のお客さんたちだね。あれあれ?すごい頭してんなぁ~。やっぱ都会もんは違うわ。それ流行り?」ノッティはヒナの取り急ぎまとめられた頭に早速興味を示した。
「おはよう、ノッティ。カナデ様と従者のダンだよ」カイルが言うが早いか、ヒナが素早く口を開く。
「ヒナだよ!おはよう、ノッティ。甘いパンある?」ヒナはからかわれたとは気付かず意気込んで訂正すると、パン屋のノッティに気になる質問をした。
カイルはくすくすと笑い、ノッティは笑顔で「あるよ」と答えた。「特別注文が入ったからね」と付け加える。
ヒナはやったね!と目を輝かせ、にこにこ顔でブルーノに挨拶をする。
「ブルゥ、おはよう。コーヒーごちそうさま」
「おはよう、ヒナ。コーヒー飲めるんだな」ブルーノは感心したように言った。
「ジュスがよく飲むから」ヒナは照れくさそうに言い、配達されたばかりのパンに目をやった。
「じゃあ、オレはそろそろ行こうかなぁ。お隣にも行かなきゃなんないし。ブルーノさん、裏の道通ってもいい?近道だからさ」
「隣にも配達あるの?」カイルが訊ねる。
「そうなんだよ。昨日、あそこの使用人がさ、ご主人様が到着したからって注文しに来たんだ。これから毎朝届けなきゃいけないんだ。まあ、気前は良さそうだから色々期待しちゃうけどね」
「何を期待するの?」と、ヒナ。
「え、えーと、チップとか?」ノッティはまさかそこを突っ込まれるとはと、頬を赤らめた。
「ヒナも一緒に行きたい!」
「ダメですよ」と、ダン。ようやく口を開く。
「そうそう。ヒナはここから出られないんだからさ」と、カイル。
衝撃の事実にヒナは目を丸くした。最初からそういう約束だったのだが、ヒナはうっかり忘れてしまっているようだ。
「まあ、チップを貰えるとは限らないしな。じゃあ、オレ、行くわ」ノッティはヒナがチップ目当てだと誤解したまま、去って行った。
ヒナはすっかり意気消沈し、慰めを求めるかのようにパン籠の前を陣取った。
が、すぐにブルーノに追い払われる。
「さあ、お前たちも出て行け。カイルはテーブルの支度、ヒナとダンは邪魔にならないように、散歩にでも出ていろ」
一行はとぼとぼキッチンを出た。
つづく
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ノッティは赤毛ののっぽで、顔にはそばかすが散っていた。パンを届けて、お茶を頂くのが日課で、ヒナ同様おしゃべりが大好物。
茶色い瞳が新入りを捉えるや否や、即座に歓迎の意を込めてガタつく椅子から立ち上がった。
「やあ、カイルおはよう!うしろにいるのが例のお客さんたちだね。あれあれ?すごい頭してんなぁ~。やっぱ都会もんは違うわ。それ流行り?」ノッティはヒナの取り急ぎまとめられた頭に早速興味を示した。
「おはよう、ノッティ。カナデ様と従者のダンだよ」カイルが言うが早いか、ヒナが素早く口を開く。
「ヒナだよ!おはよう、ノッティ。甘いパンある?」ヒナはからかわれたとは気付かず意気込んで訂正すると、パン屋のノッティに気になる質問をした。
カイルはくすくすと笑い、ノッティは笑顔で「あるよ」と答えた。「特別注文が入ったからね」と付け加える。
ヒナはやったね!と目を輝かせ、にこにこ顔でブルーノに挨拶をする。
「ブルゥ、おはよう。コーヒーごちそうさま」
「おはよう、ヒナ。コーヒー飲めるんだな」ブルーノは感心したように言った。
「ジュスがよく飲むから」ヒナは照れくさそうに言い、配達されたばかりのパンに目をやった。
「じゃあ、オレはそろそろ行こうかなぁ。お隣にも行かなきゃなんないし。ブルーノさん、裏の道通ってもいい?近道だからさ」
「隣にも配達あるの?」カイルが訊ねる。
「そうなんだよ。昨日、あそこの使用人がさ、ご主人様が到着したからって注文しに来たんだ。これから毎朝届けなきゃいけないんだ。まあ、気前は良さそうだから色々期待しちゃうけどね」
「何を期待するの?」と、ヒナ。
「え、えーと、チップとか?」ノッティはまさかそこを突っ込まれるとはと、頬を赤らめた。
「ヒナも一緒に行きたい!」
「ダメですよ」と、ダン。ようやく口を開く。
「そうそう。ヒナはここから出られないんだからさ」と、カイル。
衝撃の事実にヒナは目を丸くした。最初からそういう約束だったのだが、ヒナはうっかり忘れてしまっているようだ。
「まあ、チップを貰えるとは限らないしな。じゃあ、オレ、行くわ」ノッティはヒナがチップ目当てだと誤解したまま、去って行った。
ヒナはすっかり意気消沈し、慰めを求めるかのようにパン籠の前を陣取った。
が、すぐにブルーノに追い払われる。
「さあ、お前たちも出て行け。カイルはテーブルの支度、ヒナとダンは邪魔にならないように、散歩にでも出ていろ」
一行はとぼとぼキッチンを出た。
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ヒナ田舎へ行く 35 [ヒナ田舎へ行く]
ノッティが思いの外すばやく退散したため、時間を持て余すこととなったヒナとダン。
居間で待機するかたわら――散歩という気分でもなかったため――ダンはヒナの頭を直す事にした。なんとなくノッティに馬鹿にされたような気がしたためだ。
手ぐしでときほぐし、一本に編み込んで背中に垂らす。ポケットに忍ばせておいたリボンを結べば完成だ。今日は緑色のリボン。ヒナの好きな色だ。頭に差していた櫛はヒナのベストのポケットに納めた。
それからヒナが抵抗する中、クラヴァットを結び直した。
朝食は七時半きっかりにスタートした。
「ブルーノ、このパンはどうした?」スペンサーが注文した覚えのないパンを見て言う。
「特別注文なんだって」上機嫌のヒナ。さっそく甘いパンにかぶりついている。
「特別注文?」スペンサーが眉をつり上げた。
ブルーノが詳しく説明する。「注文したのはおれじゃない。ノッティが言うにはお隣さんが挨拶代わりに寄こしたらしい。昨日のうちに来れなかったからとかなんとか……。で、ノッティが伝言を受け取ったんだが、午前のうちに向こうから使いが来るようだ」
「チョコレート持って来るんじゃない?」カイルは興奮気味に言い、ゆで卵のてっぺんをかち割った。
「ヒナ、おめかしする!」ヒナも当然興奮する。
その理由を知っているのはダンだけだが、それを気にする者は誰一人としていなかった。兄弟は早くも、ヒナの突拍子もない発言に慣れてしまったようだ。
「ノッティ、チップいっぱいもらったのかな?お隣さんはけちんぼなんかじゃなかったんだ」カイルは手土産に期待を膨らませた。
「けど、おかしくないか?挨拶もまだなのに、いきなりパンを寄こすか?毒でも入ってるんじゃないのか?」スペンサーは馴染のないパンを掴んでこねくりまわした。
「ヒナがもうひとつ食べちゃってるよ」カイルが安全宣言を出す。
ということで、一同はいただいたパンをありがたく頂戴した。
「ところで、隣人はなんと言う名だ?」スペンサーが誰ともなしに――おそらくはブルーノに向かってだが――問い掛けた。
ダンはドキリとした。
昨日、誰に仕えているのかと聞かれて旦那様の名前を口走ってしまっている。どうせ知れていると思ったから嘘は吐かなかったが、隣人と同一人物だと判明すると何かと面倒だ。
「ウィンターズとかなんとかそんな名前だった」とブルーノ。
ダンはホッとするあまり腰を抜かしそうになった。座っていてよかった。どうやら旦那様はこの町ではウィンターズと名乗る事にしたようだ。どうせなら昨日のうちに言っておいてくれればよかったのに。宿屋の亭主にはきちんと口止めしたのだろうか?
ああ、何もかもが心配。ヒナがうっかり余計なことを口走ってしまいそうなのが、一番心配ではあるが。
「ヒナ、ウィンターさんと仲良くなれるかな?」
「ウィンターズだよ」カイルが間違いを指摘する。
「ウィンターズさんと仲良くなる必要なんかない」スペンサーがぴしゃりと言う。「どこの馬の骨ともわからないのに……」と、ぶつくさ。
「どうせ、訪問は拒絶するんだろう?」ブルーノがトーストにマーマレードジャムをたっぷりと乗せながら訊く。
ヒナが絶句する。
「たとえ隣人とはいえ、部外者を立ち入らせてはならないというのが伯爵の命令だったからな」スペンサーの言葉はさりげなくダンに向けられていた。
それに気付かないほど間抜けではないダンは、山ほどある返しの文句をスープと共にすべて飲み込んだ。
いまはまだ大人しくしておくべきだ。
つづく
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居間で待機するかたわら――散歩という気分でもなかったため――ダンはヒナの頭を直す事にした。なんとなくノッティに馬鹿にされたような気がしたためだ。
手ぐしでときほぐし、一本に編み込んで背中に垂らす。ポケットに忍ばせておいたリボンを結べば完成だ。今日は緑色のリボン。ヒナの好きな色だ。頭に差していた櫛はヒナのベストのポケットに納めた。
それからヒナが抵抗する中、クラヴァットを結び直した。
朝食は七時半きっかりにスタートした。
「ブルーノ、このパンはどうした?」スペンサーが注文した覚えのないパンを見て言う。
「特別注文なんだって」上機嫌のヒナ。さっそく甘いパンにかぶりついている。
「特別注文?」スペンサーが眉をつり上げた。
ブルーノが詳しく説明する。「注文したのはおれじゃない。ノッティが言うにはお隣さんが挨拶代わりに寄こしたらしい。昨日のうちに来れなかったからとかなんとか……。で、ノッティが伝言を受け取ったんだが、午前のうちに向こうから使いが来るようだ」
「チョコレート持って来るんじゃない?」カイルは興奮気味に言い、ゆで卵のてっぺんをかち割った。
「ヒナ、おめかしする!」ヒナも当然興奮する。
その理由を知っているのはダンだけだが、それを気にする者は誰一人としていなかった。兄弟は早くも、ヒナの突拍子もない発言に慣れてしまったようだ。
「ノッティ、チップいっぱいもらったのかな?お隣さんはけちんぼなんかじゃなかったんだ」カイルは手土産に期待を膨らませた。
「けど、おかしくないか?挨拶もまだなのに、いきなりパンを寄こすか?毒でも入ってるんじゃないのか?」スペンサーは馴染のないパンを掴んでこねくりまわした。
「ヒナがもうひとつ食べちゃってるよ」カイルが安全宣言を出す。
ということで、一同はいただいたパンをありがたく頂戴した。
「ところで、隣人はなんと言う名だ?」スペンサーが誰ともなしに――おそらくはブルーノに向かってだが――問い掛けた。
ダンはドキリとした。
昨日、誰に仕えているのかと聞かれて旦那様の名前を口走ってしまっている。どうせ知れていると思ったから嘘は吐かなかったが、隣人と同一人物だと判明すると何かと面倒だ。
「ウィンターズとかなんとかそんな名前だった」とブルーノ。
ダンはホッとするあまり腰を抜かしそうになった。座っていてよかった。どうやら旦那様はこの町ではウィンターズと名乗る事にしたようだ。どうせなら昨日のうちに言っておいてくれればよかったのに。宿屋の亭主にはきちんと口止めしたのだろうか?
ああ、何もかもが心配。ヒナがうっかり余計なことを口走ってしまいそうなのが、一番心配ではあるが。
「ヒナ、ウィンターさんと仲良くなれるかな?」
「ウィンターズだよ」カイルが間違いを指摘する。
「ウィンターズさんと仲良くなる必要なんかない」スペンサーがぴしゃりと言う。「どこの馬の骨ともわからないのに……」と、ぶつくさ。
「どうせ、訪問は拒絶するんだろう?」ブルーノがトーストにマーマレードジャムをたっぷりと乗せながら訊く。
ヒナが絶句する。
「たとえ隣人とはいえ、部外者を立ち入らせてはならないというのが伯爵の命令だったからな」スペンサーの言葉はさりげなくダンに向けられていた。
それに気付かないほど間抜けではないダンは、山ほどある返しの文句をスープと共にすべて飲み込んだ。
いまはまだ大人しくしておくべきだ。
つづく
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ヒナ田舎へ行く 36 [ヒナ田舎へ行く]
「どうだ?ヒナの世話は出来そうか?」スペンサーは出し抜けに訊いた。ほとんどカイルに向けてだったが、当初ヒナの世話はブルーノがすることになっていたことを忘れてはいない。
「まあね。たぶん大丈夫」カイルはおおむね楽観的に答えた。
スペンサーは懐疑的な顔つきでカイルを見たが、ブルーノとダンも同様だった。
ひとり蚊帳の外なのがヒナだ。
ヒナはウィンターズさんについて考えていた。
ウィンターズさんはジャスティンなので、ほぼ日常考えている事と一緒だ。
「ということは、ダンは安心して帰れるな」ヒナの頭の中を知る由もないスペンサーがじわじわダンを追い込む。
「不安だらけですよっ!」もはやのんびりしていられない状況だと悟ったダンが語気を強めた。
「うーん、そう言われたらそうかも」とカイル。ヒナの世話なんて出来るはずがないと気付いたのか、昨晩のヒナとの約束を思い出したのか。お菓子で釣られたカイルはダンを追い出さないという約束をヒナとしてしまっていた。とはいえ、表立ってそれを兄たちに言えるかといえば、言えるはずもなく……。
「どちらにせよ、今後ヒナは自分のことは自分でしなければならないんだ。幼子じゃあるまいし、何から何まで人の手を借りる必要はない」
ブルーノの言い分はもっともなのだが、ヒナの手を煩わせないようジャスティンがどれほど努力しているかを知れば、そうも言っていられないだろう。ジャスティンにとって、ヒナは幼子も同然で、あれこれ面倒を見てやらないと後始末がどれほど大変か……。ブルーノにももう間もなくそれがわかるはずだ。
「ヒナはコヒナタ様からお預かりしている大切なご子息ですよ。何から何まで面倒を見て当然です」ダンが鼻息荒く言う。
「だいたい、コヒナタ様っていうのは伯爵とどういう関係なんだ?ヒナをどうしてお前の主人に預けている?」スペンサーがズバリ訊いた。
「ヒナはジュスに拾われたの」ヒナはほっぺたをポッと赤く染めて、気恥ずかしげにうつむいた。
「なんだって!」驚いたのはスペンサー。ブルーノは見た目には冷静だ。カイルは普段食べることのない甘いパンに夢中だ。
「じょ、冗談ですよっ!まったく、ヒナったら……」ダンは冷や汗をかいた。だらだらと。
「冗談ですよ」と、ヒナはおどけた口調でダンの言葉を繰り返した。
遊ばれている。とダンが思ったのは言うまでもなかった。
これがヒナだ。
つづく
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「まあね。たぶん大丈夫」カイルはおおむね楽観的に答えた。
スペンサーは懐疑的な顔つきでカイルを見たが、ブルーノとダンも同様だった。
ひとり蚊帳の外なのがヒナだ。
ヒナはウィンターズさんについて考えていた。
ウィンターズさんはジャスティンなので、ほぼ日常考えている事と一緒だ。
「ということは、ダンは安心して帰れるな」ヒナの頭の中を知る由もないスペンサーがじわじわダンを追い込む。
「不安だらけですよっ!」もはやのんびりしていられない状況だと悟ったダンが語気を強めた。
「うーん、そう言われたらそうかも」とカイル。ヒナの世話なんて出来るはずがないと気付いたのか、昨晩のヒナとの約束を思い出したのか。お菓子で釣られたカイルはダンを追い出さないという約束をヒナとしてしまっていた。とはいえ、表立ってそれを兄たちに言えるかといえば、言えるはずもなく……。
「どちらにせよ、今後ヒナは自分のことは自分でしなければならないんだ。幼子じゃあるまいし、何から何まで人の手を借りる必要はない」
ブルーノの言い分はもっともなのだが、ヒナの手を煩わせないようジャスティンがどれほど努力しているかを知れば、そうも言っていられないだろう。ジャスティンにとって、ヒナは幼子も同然で、あれこれ面倒を見てやらないと後始末がどれほど大変か……。ブルーノにももう間もなくそれがわかるはずだ。
「ヒナはコヒナタ様からお預かりしている大切なご子息ですよ。何から何まで面倒を見て当然です」ダンが鼻息荒く言う。
「だいたい、コヒナタ様っていうのは伯爵とどういう関係なんだ?ヒナをどうしてお前の主人に預けている?」スペンサーがズバリ訊いた。
「ヒナはジュスに拾われたの」ヒナはほっぺたをポッと赤く染めて、気恥ずかしげにうつむいた。
「なんだって!」驚いたのはスペンサー。ブルーノは見た目には冷静だ。カイルは普段食べることのない甘いパンに夢中だ。
「じょ、冗談ですよっ!まったく、ヒナったら……」ダンは冷や汗をかいた。だらだらと。
「冗談ですよ」と、ヒナはおどけた口調でダンの言葉を繰り返した。
遊ばれている。とダンが思ったのは言うまでもなかった。
これがヒナだ。
つづく
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ヒナ田舎へ行く 37 [ヒナ田舎へ行く]
出て行け。必要ない。
そんな言葉にうんざりしながら、ダンは食べすぎでよたよた歩きのヒナと部屋に戻った。お茶の時間までに少しヒナに言い聞かせておく必要がある。僕に残された時間があと少しだという事を。
「ヒナ、もう少し援護して下さいよ」ダンはみじめったらしく言った。
ヒナは膨れたお腹を支えるようにして、窓辺の椅子にちょこんと腰かけた。「えんごって何?」
ダンはヒナの足元に跪き、靴紐をほどくと小さな足を解放させた。「だから、『ダンがいないとなんにも出来なーい!』っていうあれです」
ヒナはすっかり忘れていましたというように口をすぼめた。靴下の中で足の指を開いたり閉じたりする。
「まったく。旦那様からの贈り物で僕のことなんて忘れていたんでしょうね」ダンは非難がましい目でヒナを見た。
「ウィンターさんにお礼言わなきゃ」ヒナはうきうきと言った。ダンの嫌味には全く気付かずだ。
「でもどうして旦那様はウィンターズなんて名乗ることにしたんでしょうね?」ダンはヒナのクラヴァットをほどきながらひとりごちた。
どう考えても、旦那様はウィンターズという名のイメージとは程遠い。まあ、とくに世間一般のウィンターズさんにはどんなイメージも抱いていないのだけれど、仮に旦那様がウィンターズという名だとしたら、やはりどこか胡散臭さを感じずにはいられない。
「あーあ、ノッティに伝言を頼めばよかった」ヒナはふぅと溜息を吐いた。
「旦那様にですか?」ダンは分かりきったことを訊ねた。
「ヒナは大きな窓にひらひらのカーテンの部屋にいますって」
この屋敷はどの部屋も窓が大きく、カーテンはひらひらしている。それにこの部屋に忍び込むには梯子がないと無理だし、仮に梯子があっても、住人にばれずにいることは無理だ。
でも、ノッティに伝言という手は使えるかもしれない。もちろん、ノッティの口が堅ければの話なのだが、今朝の感じからすると、あまり期待できそうにない。
ロス兄弟は部外者を一切拒むつもりのようだし、ノッティが連絡係になってくれればこれほど助かる事はないのだが。
「明日、ノッティにあちらのお屋敷の様子を聞いてみましょう。で、こちらのことをいっぱい喋るんですよ」そうすればきっと自然と話は伝わるはずだ。
「ヒナ明日から早起きする!」意気込むヒナ。でもやはり、旦那様にすぐにでも会いたいようで、気落ちした様子で椅子にくったりともたれた。
「今日の訪問にも期待してみましょう」ありそうにないことではあるが、ヒナを元気づけるためにダンは言った。「もしかすると午後のお出掛けの時に境界付近で会えるかもしれませんし。その時はお互い知らない振りをしないといけませんけどね。間違っても『ジュス!』なんて言って飛び付いてはいけませんよ」
「はーい」ヒナは元気よく返事をした。
「では、アダムス先生から預かって来た宿題をやってしまいましょうか」
返事はなかった。
つづく
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そんな言葉にうんざりしながら、ダンは食べすぎでよたよた歩きのヒナと部屋に戻った。お茶の時間までに少しヒナに言い聞かせておく必要がある。僕に残された時間があと少しだという事を。
「ヒナ、もう少し援護して下さいよ」ダンはみじめったらしく言った。
ヒナは膨れたお腹を支えるようにして、窓辺の椅子にちょこんと腰かけた。「えんごって何?」
ダンはヒナの足元に跪き、靴紐をほどくと小さな足を解放させた。「だから、『ダンがいないとなんにも出来なーい!』っていうあれです」
ヒナはすっかり忘れていましたというように口をすぼめた。靴下の中で足の指を開いたり閉じたりする。
「まったく。旦那様からの贈り物で僕のことなんて忘れていたんでしょうね」ダンは非難がましい目でヒナを見た。
「ウィンターさんにお礼言わなきゃ」ヒナはうきうきと言った。ダンの嫌味には全く気付かずだ。
「でもどうして旦那様はウィンターズなんて名乗ることにしたんでしょうね?」ダンはヒナのクラヴァットをほどきながらひとりごちた。
どう考えても、旦那様はウィンターズという名のイメージとは程遠い。まあ、とくに世間一般のウィンターズさんにはどんなイメージも抱いていないのだけれど、仮に旦那様がウィンターズという名だとしたら、やはりどこか胡散臭さを感じずにはいられない。
「あーあ、ノッティに伝言を頼めばよかった」ヒナはふぅと溜息を吐いた。
「旦那様にですか?」ダンは分かりきったことを訊ねた。
「ヒナは大きな窓にひらひらのカーテンの部屋にいますって」
この屋敷はどの部屋も窓が大きく、カーテンはひらひらしている。それにこの部屋に忍び込むには梯子がないと無理だし、仮に梯子があっても、住人にばれずにいることは無理だ。
でも、ノッティに伝言という手は使えるかもしれない。もちろん、ノッティの口が堅ければの話なのだが、今朝の感じからすると、あまり期待できそうにない。
ロス兄弟は部外者を一切拒むつもりのようだし、ノッティが連絡係になってくれればこれほど助かる事はないのだが。
「明日、ノッティにあちらのお屋敷の様子を聞いてみましょう。で、こちらのことをいっぱい喋るんですよ」そうすればきっと自然と話は伝わるはずだ。
「ヒナ明日から早起きする!」意気込むヒナ。でもやはり、旦那様にすぐにでも会いたいようで、気落ちした様子で椅子にくったりともたれた。
「今日の訪問にも期待してみましょう」ありそうにないことではあるが、ヒナを元気づけるためにダンは言った。「もしかすると午後のお出掛けの時に境界付近で会えるかもしれませんし。その時はお互い知らない振りをしないといけませんけどね。間違っても『ジュス!』なんて言って飛び付いてはいけませんよ」
「はーい」ヒナは元気よく返事をした。
「では、アダムス先生から預かって来た宿題をやってしまいましょうか」
返事はなかった。
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ヒナ田舎へ行く 38 [ヒナ田舎へ行く]
部屋着に着替えたヒナはアダムス先生特製の宿題を手に図書室に向かった。勉強部屋は図書室と決まっている。
ヒナは廊下をてくてく歩き、階段を跳ねるように降り、気付けば見た事のないドアの前に立っていた。図書室に向かっていたはずなのに、どうやら完全に迷子になったようだ。
ひとまずドアを開けてみた。
そこは屋敷の裏手で、庭が広がり、その向こうには果てしなく続いているような草地が広がっていた。
ヒナは室内履きのまま外に出た。
砂利敷きを建物の塀の沿って進むと、古びた煉瓦の塀に囲まれたまばらな芝生の空き地に辿り着いた。
そこにひとり、ヒナが苦手とする――日常ほとんど出会うことがないので免疫がないだけ――女性がいた。腰を屈めていたが、物音を聞きつけてか顏を上げてヒナをひたと見据えた。
「だ、だれでつか?」
びっくりし過ぎて口の中がこんがらがった。ほとんど舌を噛まんばかりだったため、ヒナは恥ずかしさに顔を真っ赤に染めた。
「おや?坊やこそ誰ね?」太い腰にエプロンを巻いたおばさんが平然と訊いた。
ヒナは緊張でガチガチになった。「ぼ、ぼくはヒナと言います。ここは知らない人は入っちゃダメなんですよ。ブルゥに怒られます」
「あたしは怒られやしないよ。だって、あたしがいなきゃ、ここのもんは着るもんがなくなっちまうからね。シーツなしのベッドで眠れるかい?」
ヒナは首をぶんぶん振った。
「あたしはアイダ。ロスの坊やたちの洗濯を任されているんだよ。おねしょはするかい?」アイダは不躾にもヒナの下腹部に目をやった。
「しません!」ヒナはキビキビと答え、そっと両手で大事な部分を隠した。脇に抱えていた宿題を落としそうになる。
「だろうね。そう思ったよ。でも気を付けなきゃいけないよ。ロスの一番ちびっこいのはつい最近までやってたんだからね」
アイダの言うつい最近がどれほど最近のことなのかは謎だが、ヒナは言葉通り受け取った。
「気を付けますっ!」ヒナはひょろ長い木のように身体を硬直させた。
アイダはその言葉に納得したのか、中断していた洗濯に戻った。すでに洗い終わっているのであとは干すだけのようだ。
ヒナは身体をもじもじとさせ、砂利をじゃりじゃりと言わせながら近づくと、「手伝おうか?」と、なかなか気の利く申し出をした。
アイダは笑って、「あっちへ行きな」と言った。
ヒナは一目散にその場から逃げ出した。
つづく
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ヒナは廊下をてくてく歩き、階段を跳ねるように降り、気付けば見た事のないドアの前に立っていた。図書室に向かっていたはずなのに、どうやら完全に迷子になったようだ。
ひとまずドアを開けてみた。
そこは屋敷の裏手で、庭が広がり、その向こうには果てしなく続いているような草地が広がっていた。
ヒナは室内履きのまま外に出た。
砂利敷きを建物の塀の沿って進むと、古びた煉瓦の塀に囲まれたまばらな芝生の空き地に辿り着いた。
そこにひとり、ヒナが苦手とする――日常ほとんど出会うことがないので免疫がないだけ――女性がいた。腰を屈めていたが、物音を聞きつけてか顏を上げてヒナをひたと見据えた。
「だ、だれでつか?」
びっくりし過ぎて口の中がこんがらがった。ほとんど舌を噛まんばかりだったため、ヒナは恥ずかしさに顔を真っ赤に染めた。
「おや?坊やこそ誰ね?」太い腰にエプロンを巻いたおばさんが平然と訊いた。
ヒナは緊張でガチガチになった。「ぼ、ぼくはヒナと言います。ここは知らない人は入っちゃダメなんですよ。ブルゥに怒られます」
「あたしは怒られやしないよ。だって、あたしがいなきゃ、ここのもんは着るもんがなくなっちまうからね。シーツなしのベッドで眠れるかい?」
ヒナは首をぶんぶん振った。
「あたしはアイダ。ロスの坊やたちの洗濯を任されているんだよ。おねしょはするかい?」アイダは不躾にもヒナの下腹部に目をやった。
「しません!」ヒナはキビキビと答え、そっと両手で大事な部分を隠した。脇に抱えていた宿題を落としそうになる。
「だろうね。そう思ったよ。でも気を付けなきゃいけないよ。ロスの一番ちびっこいのはつい最近までやってたんだからね」
アイダの言うつい最近がどれほど最近のことなのかは謎だが、ヒナは言葉通り受け取った。
「気を付けますっ!」ヒナはひょろ長い木のように身体を硬直させた。
アイダはその言葉に納得したのか、中断していた洗濯に戻った。すでに洗い終わっているのであとは干すだけのようだ。
ヒナは身体をもじもじとさせ、砂利をじゃりじゃりと言わせながら近づくと、「手伝おうか?」と、なかなか気の利く申し出をした。
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ヒナ田舎へ行く 39 [ヒナ田舎へ行く]
居間でうたた寝をしていたカイルを見つけたヒナは、図書室へ行くのをやめて、食後のごろ寝会に参加する事にした。
そしてその頃、図書室の隣の書斎では、ダンがスペンサーとの最終決戦に臨んでいた。
「先ほど、脇道から女性が一人やって来るのを見掛けました。通いの家政婦さんですか?てっきりあなたがた三人で切り盛りしていると思っていたのですが……」効果のほどを考え、やんわりと咎めるような口調で言う。座っているソファからだとスペンサーを見上げる形になるが、それはそれ。どうあがいてもダンは余計者なので、あまり偉そうな態度も取れないというもの。
「アイダには洗濯を任せているだけだ」スペンサーは素っ気ないものだ。
「へえ、そうですか。朝はノッティがパンを運び、アイダが洗濯をしにやって来る。庭師やなんかも別にいるのでしょうね?ということは、けっこう色々な人が出入りしているというわけですね」したり顔で言う。
「お屋敷というのはそういうものだろう?」揚げ足ばかり取るなと、スペンサーは苦い顔で応じた。
「ええ、そうですね」そう言ってダンは、だから僕は必要な人間でしょうとばかりに目を見開いた。
スペンサーが溜息を吐く。
いい加減このやり取りにうんざりしているのはどちらも同じだが、決着をつけたのはこの男だった。
お仕着せ姿のブルーノがダンの上着と帽子を持って現れたのだ。
唖然とするダンに微笑みかけるスペンサー。「どうやら時間が来たようだ」と、なめらかに言う。
「時間?何の時間ですか?」ダンは当惑顔で立ちあがって、ブルーノを仰ぎ見た。
「少し早いが出発だ」ブルーノは何の感情も込めずに言った。少なくともダンにはそう見えた。
「ちょっ、え?」ダンは迫りくるブルーノを押しやろうと両手を突き出した。その動きが災いし、あっさりと子犬のように抱き上げられ肩に担がれてしまった。
「どうせなら、帽子と上着も乗せときゃよかっただろうに」スペンサーは荷物をいくつも抱える弟を見て言った。
「都会もんはこれがなきゃ外に出ないだろうと思ってな」そう言って、ブルーノはダンの頭に帽子を乗せ、背中に上着を被せた。
「最初からこうするつもりだったんですねっ!」じたばたともがいてみるが、がっちりと掴まれていてはどうにもならない。ならば大声で助けを呼ぼうと――相手はヒナだけれど――口を開きかけたが、大きく息を吸い込んだところで口を塞がれた。
ダンはパニックに陥った。こんな暴挙、許されるはずない。二人がかりでなんてことを!
「ふぉろひてくわさいッ!」おろしてくださいと叫んでみても、自分の身体に響くだけ。大きな手の持ち主スペンサーが笑顔のままで顔を顰めてみせる。「ふぉにっ!ふぁくまっ!」おに、あくま。鬼という言葉はヒナから教わった。角が生えているのでどうやら悪魔と同種のようだ。
いやいや。そんな事より、気付けばすでに景色は書斎から廊下の古びた壁紙へと移っていて、もう間もなく玄関へ達する。これだから脚の長い男は嫌いだ。
「おい、ブルーノ。門の外に出るまでこいつの口をなんとか閉じさせておけ。ガキどもに騒がれては困るからな」スペンサーが冷たく言い放つ。
「さるぐつわでも噛ませるしかないな。それか、一発殴って気絶させるか。どっちがいい?ダン」ブルーノが言うと本気度が増すのはどうしてだろうか?
ダンは怯えた仔犬のように顔をぷるぷると震わせた。
「お好きな方を、と言ってるぞ」とスペンサー。
やっぱり鬼だ。
つづく
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そしてその頃、図書室の隣の書斎では、ダンがスペンサーとの最終決戦に臨んでいた。
「先ほど、脇道から女性が一人やって来るのを見掛けました。通いの家政婦さんですか?てっきりあなたがた三人で切り盛りしていると思っていたのですが……」効果のほどを考え、やんわりと咎めるような口調で言う。座っているソファからだとスペンサーを見上げる形になるが、それはそれ。どうあがいてもダンは余計者なので、あまり偉そうな態度も取れないというもの。
「アイダには洗濯を任せているだけだ」スペンサーは素っ気ないものだ。
「へえ、そうですか。朝はノッティがパンを運び、アイダが洗濯をしにやって来る。庭師やなんかも別にいるのでしょうね?ということは、けっこう色々な人が出入りしているというわけですね」したり顔で言う。
「お屋敷というのはそういうものだろう?」揚げ足ばかり取るなと、スペンサーは苦い顔で応じた。
「ええ、そうですね」そう言ってダンは、だから僕は必要な人間でしょうとばかりに目を見開いた。
スペンサーが溜息を吐く。
いい加減このやり取りにうんざりしているのはどちらも同じだが、決着をつけたのはこの男だった。
お仕着せ姿のブルーノがダンの上着と帽子を持って現れたのだ。
唖然とするダンに微笑みかけるスペンサー。「どうやら時間が来たようだ」と、なめらかに言う。
「時間?何の時間ですか?」ダンは当惑顔で立ちあがって、ブルーノを仰ぎ見た。
「少し早いが出発だ」ブルーノは何の感情も込めずに言った。少なくともダンにはそう見えた。
「ちょっ、え?」ダンは迫りくるブルーノを押しやろうと両手を突き出した。その動きが災いし、あっさりと子犬のように抱き上げられ肩に担がれてしまった。
「どうせなら、帽子と上着も乗せときゃよかっただろうに」スペンサーは荷物をいくつも抱える弟を見て言った。
「都会もんはこれがなきゃ外に出ないだろうと思ってな」そう言って、ブルーノはダンの頭に帽子を乗せ、背中に上着を被せた。
「最初からこうするつもりだったんですねっ!」じたばたともがいてみるが、がっちりと掴まれていてはどうにもならない。ならば大声で助けを呼ぼうと――相手はヒナだけれど――口を開きかけたが、大きく息を吸い込んだところで口を塞がれた。
ダンはパニックに陥った。こんな暴挙、許されるはずない。二人がかりでなんてことを!
「ふぉろひてくわさいッ!」おろしてくださいと叫んでみても、自分の身体に響くだけ。大きな手の持ち主スペンサーが笑顔のままで顔を顰めてみせる。「ふぉにっ!ふぁくまっ!」おに、あくま。鬼という言葉はヒナから教わった。角が生えているのでどうやら悪魔と同種のようだ。
いやいや。そんな事より、気付けばすでに景色は書斎から廊下の古びた壁紙へと移っていて、もう間もなく玄関へ達する。これだから脚の長い男は嫌いだ。
「おい、ブルーノ。門の外に出るまでこいつの口をなんとか閉じさせておけ。ガキどもに騒がれては困るからな」スペンサーが冷たく言い放つ。
「さるぐつわでも噛ませるしかないな。それか、一発殴って気絶させるか。どっちがいい?ダン」ブルーノが言うと本気度が増すのはどうしてだろうか?
ダンは怯えた仔犬のように顔をぷるぷると震わせた。
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